パーキンソン病と向き合った父と私⑥
訪問ありがとうございます。
看護師に寄り添う相談室『Sowelu』
代表の中村真美です。
高校卒業以来の親との生活。
幸い、とても良いチームに
恵まれました。
◎ケアマネ
2日に1回は様子を見に来てくれていた。
往診医、訪問看護ステーション、
訪問入浴はケアマネの紹介でした。
気持ちの良い対応で、
どの人も頼もしかった。
◎往診医
『医師が治せる病気は
実はそんなに多くない』
そう感じてから、在宅での介入を
メインにされている先生だった。
自宅で看取る事を理解してくれていて、
反対していた母親との間に入り、
希望をよく聞き、寄り添ってくれていた。
◎訪問看護師
誤嚥する中、どこまで経口摂取するか。
母親を、どうやってフォローしていくか。
家で状態を、どうやって把握・推測するか。
多くの相談に乗ってくれていた。
父を自宅に連れて帰ってきて、
私が一番うれしかった事。
それは、病気の父ではなく、
子供の頃の父にまた会えた事だった。
ベッドの上にいるものの、
表情、しぐさ、言動が
懐かしい父に戻ったのです。
嫌いだった『お父さん』に
また会えた!
今でも忘れない。
お酒の大好きな父に
ワインアイスを食べさせた時
びっくりしたように
「うまいなぁ!」って。
これが一番してあげたかった事。
家じゃないとできなかった事。
その影響で、その後、熱が出て、
痰が増えた。夜間もせき込み、
その度に、身体の向きを変えたり、
痰を取ったりで私も寝不足となった。
最期の時間を家族で過ごし、
最期は、姉と私で看取りました。
闘病生活20年。68歳でした。
私が今回なぜ自宅で、
自分で看取ろうと思ったのか…。
理由が2つありました。
1つは、24歳で舌癌で
亡くなった彼がいました。
最期の時に「家に帰りたい!」
と繰り返し言ってた。
それを実現してあげられなかった事が
ずっと私の後悔となっていました。
2つ目は、子供の頃の私は、
家に居場所がなかった。
親は私に興味がなく,
姉と私への愛情の差を感じていた。
「今日学校どうだった?」
と聞かれたことはなかった。
毎日怒られることは多いけど、
全く褒められない。
親は私に関心がなくて、
自分の存在はいらないのかも…。
そう思っていた。
親に好かれたい。
自分を見て欲しい。
親の愛情を求めても、かなわないから、
そこから逃げた。
私なりのやり直し。
うまくいかなかった親子関係の
修復であり、親が私を必要としている事が
嬉しかったのかもしれない。
父が亡くなってから、
自分の欲求を満たすための
エゴなのかもしれない。と悩んだ。
自分の気持ちを、
ただ満たすためだけだったのか?
お父さんは、どんな最期を望んでいたのか。
答えを教えて欲しかった。
でも、亡くなった人は答えてくれない。
もっと生きたかったかどうかは
未だにわからない。
『最期の時間』
亡くなる人の時間でもあるが、
深く関わる周りの人の時間でもある。
後悔があったら、残された人は
それを抱えて、生きなければならない。
それはとても苦しい。
大満足な最期はとても難しい。
だからこそ、多くを悩み、
あがき、周りにも協力してもらいながら
『最期の時間』と向き合って欲しい。
そうすれば、答えは出ないけど、
自分なりの納得に、近づくことができます。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
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