パーキンソン病と向き合った父と私④
訪問ありがとうございます。
看護師に寄り添う相談室『Sowelu』
代表の中村真美です。
私の父は48歳でパーキンソン病になりました。
発症後には、仕事・趣味を手放した。
劣等感からか、人と会う機会が減り、
お付き合いはなくなっていったのです。
もともと亭主関白で、
全て父が決めていた家だったが
病気になった事で、母との
パワーバランスも変わってしまった。
母の介護負担も大きくなってきたことと、
父も希望した事で、65歳の時に
施設に入所する事となった。
そこから、大好きだったお酒は
殆ど飲めなくなってしまった。
面会に行くと「もう帰るのか?」
寂しそうに言われれると、
涙があふれてきてしまう・・・。
私の中の父は憎らしいぐらい強い人だったから、
本当に見ているのが辛い姿だった。
そして47歳になり、誤嚥性肺炎で入院。
咽頭部に麻痺があり、
食事がとれなくなってしまったのです。
パーキンソン病の薬を長期にわたり
調整しながら内服していたので、
時々、幻覚・幻聴がある状態。
病室に行くと、両手を抑制されて、
ミトンを着用し、いつ行っても刺激がなく、
寝ている状態。
誰ともしゃべらないから、
声もなかなか出ない。
本当に寝たきりになってしまった・・・。
医師からは、
「咽頭部の麻痺があるので、
食事を取ると肺炎になってしまう。
胃瘻を作りましょう。」
と言われた。
私は
「食事の楽しみがない状態で、
ベッドの上で天井をみて過ごす生活を
送らせたくない。
もう食事が取れないなら、家に連れて帰り
最期を家で過ごさせてあげたいと思います。」
そう、医師に伝えた。
すると医師は
「何を言ってるんですか?!
看護師だからって、家で看れるなんて
そんな簡単な話じゃないですからね!」
と言い合いになってしまった・・・。
最期は家で・・・。
これは、私がずっと考えていた事。
仕事を辞めなければならないが、
24歳の時に亡くなった彼の体験もあり、
それしか選択肢はなかった。
ずっと決めていた事なのに、
強く反対されると、
自分がおかしいのか?
間違っているのか?
本気で悩んでしまう・・・。
母は
【家で看るなんて無理だよ。
先生と喧嘩しちゃってどうするのよ!】
と反対だった。
姉は
【気持ちは良くわかる。でも、自分の人生も
大事にして欲しい。自分を犠牲にしてまで
親の為にって、賛成できないよ。】
そう言ってくれた。
父はすでに正常な判断ができる状態では
なかった。
続きは
パーキンソン病と向き合った、父と私⑤へ
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