パーキンソン病と向き合った父と私③
訪問ありがとうございます。
看護師に寄り添う相談室『Sowelu』
代表の中村真美です。
今日は、父の最期について
お話しようと思います。
48歳でパーキンソン病になった父。
進行を遅らせる事はできても、
今の医学では治らない病気。
父は、自分で小さな建設会社を立ちあげ、
タワークレーンを扱っていた。
「お父さんは、森ビルと都庁も立てたんだ」
(携わった程度だと思われますが・・(笑))と自慢げに話していた。
夏はウインドサーフィン
冬はスキーとアクティブで
お酒が好きで、毎日晩酌していた。
そんな父は、パーキンソン病になった48歳。
仕事もたたみ、クリニックに
リハビリに行き、帰りに
パチンコに行く生活になった。
新しい人との関わりが必要だと思ったが、
コミュニティーへの参加を促すと、
「あいつらと一緒にするな!」
「あんな年寄りばかりが行くところに
行きたくない!」
だよね・・・。
まだ40歳代だし
その気持ちはよくわかった。
どんどん動けなくなって
、
姿が変わっていくと、更に人に合う事を
嫌がるようになっていった。
発症して6年の頃、
姉夫婦に女の子が産まれた。
初孫だ。その時に父は
「孫はとっても可愛いものだと思っていたが
そう思えないんだ・・・」
その言葉に姉は
とてもショックを受けていた。
父はとても子供好きな人。
ただ、パーキンソン病は鬱病を併発してしまう。
病気は感情までも奪ってしまうのだ。
身体の変化を受けとめながら生活しているのに
喜びも奪ってしまう・・・
残酷だ・・・
どれだけ歯痒い気持ちなのか・・・。
いずれ、父は身の回りの事ができなくなり
ベッド上で部屋の天井を見ながら
毎日過ごすようになるのだと覚悟していました。
そんな父を見て、私は、
『死ねるタイミングで、死なせてあげたい・・・』
そう思うようになっていた。
続きは
パーキンソン病と向き合った、父と私④へ
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